生年月日:1941年3月5日

出身地:和歌山県日高郡美浜町三尾

動画撮影日:2019年11月10日

動画撮影場所:旧三尾小学校

内容

本動画は三尾出身の平尾晴美さんのインタビュー動画です。平尾晴美さんの祖父である濱 與ノ助(Yonosuke Hama)さんは1917年に初めてSteveston(以下スティーブストンと表記)へ渡り、伯父の精太郎(Seitaro)さんと繁雄(Shigeo)さんの2人は18歳の時に渡られました。本動画では、1932年頃に濱 與ノ助さんが三尾に戻って来られてからの生活ぶりや思い出などを語っていただいています。特に、食事のマナーが日本とは違う部分があり面白いと思いますので、是非、日本とカナダの文化や生活習慣の違いに注目してご覧ください。

動画の補足

カウチンセーター…カウチンセーターとは、カナダの先住民であるカウチン族(ファーストネーションズ)の編んだセーターのことを指します。

ファーストネーションズ(先住民族インディアン)…『阪南論集』の「北西太平洋岸先住民社会における先住民ツーリズムに関する研究ノート」によると、「ファーストネーションズ(First Nations)とはカナダの先住民族の呼称です。従来は、インディアン(Indian)と呼ばれていましたが、この表現は否定的な意味が含まれていることや、多民族国家であるカナダではインド系カナダ人との混同を生じさせてしまうため、尊敬の意を込めて、ファーストネーションズという呼称が一般的になっています」(1)と記載されています。

※『はらっぱ』の「世界の子ども事情 カナダ・先住民文化剥奪の標的となった子どもたち」によると、「ファーストネーションズ(First Nations)という呼称には北方先住民などが含まれていないため、近年で世界的に一般化した、インディジェナスピープルズ(Indigenous peoples)がカナダで暮らす先住民の呼称として使用されています」(2)と記載されています。

カナダへ移民された方

平尾晴美さんの祖父と伯父2人 計3名

濱 與ノ助さん(平尾晴美さんの祖父)

精太郎さん(平尾晴美さんの父の兄)

繁雄さん(精太郎さんの弟)

平尾晴美さんのお話によると、平尾晴美さんご自身は精太郎さんとは一度も会われたことがないとのことですが、繁雄さんとは3回ほどお会いになったことがあるそうです。また、御三方のご職業に関しては、祖父である濱 與ノ助さんはスティーブストンに渡った後に漁業に従事し、伯父の精太郎さんも同じく漁業に従事されていたそうです。そして、精太郎さんの弟である繁雄さんは漁業ではなく、「ソーメル」(sawmill, 製材会社)で働かれており、漁業に従事することはなかったそうです。

日系カナダ人との繋がり

昨年、移民三世である堂前リサさんが三尾に自身のルーツを探しに訪れた際に、堂前リサさんの父(Stan Sadao Domaeさん)の従兄弟(浜 忠雄さん)の娘が、現在三尾に在住の平尾晴美さんであるということが分かりました。今まではお互いが名前も知らない状態でしたが、このルーツ探しがきっかけとなり、2020年8月29日にウェブ上で、Sadaoさんと平尾晴美さんが対面することができました。※浜 忠雄さんは平尾晴美さんの父

美浜の平尾さん Zoomでカナダの親類と初対面

 

濱 與ノ助さんの登録証明書

出典:平尾晴美さんに提供していただいた登録証明書の現物

濱 與ノ助さんは旧姓がDomaeで、Stan Sadao Domaeさんの祖父であるToyokichiさんと兄弟にあたる関係性です。

スティーブストン での漁業・日系人とファーストネーションズ(先住民)との関係性

戦前の1920年にはフレーザー川の河口にあるスティーブストンを中心にBC州沿岸には約100箇所のサケ缶詰工場があり、当時そこでは数多くの白人、日本人、中国人、そして本動画でも少し触れているファーストネーションズ(先住民族)が少数雇用されていました。(3)この様に多くの人種が雇用されていましたが、サケの漁獲は日本人が担当、缶詰作業は中国人、そこに補助的な立場としてファーストネーションズ(先住民族)というように仕事内容は民族ごとに分けられていました。(3) 一方でBC州北部のキャナリーには中国人はほとんどおらず、白人が主要業種を担い、日本人とファーストネーションズが漁獲と缶詰作業を行っていたという様に、地域により分業の仕組みも大きく違っていました(3)。また、平尾晴美さんには、「濱 與ノ助さんと精太郎さんが働かれていたキャナリーでは、三尾出身者である田中さんという方が網元を担当しており、その下で多くの日本人が漁獲に従事していたそうです」と教えていただきました。

 

漁業に従事した日本人の様子や、キャナリーでの人々の居住状況が分かるサイト

「戦前のカナダに渡り漁業に従事した日本人」 著:立命館大学文学部教授 河原典史教授

スティーブストンのキャナリーについての英文サイト

「Steveston Cannery Row 」 著:Patricia Jordan

“THE SOYOKAZE: A Gentle Wind That Weathered the Storm”によれば、「1908年にカナダで生まれ幼少期を三尾で過ごした松永(Shigekazu Matsunaga)さんという漁師は、カナダのクアタイアスキーコーブ(Quathiaski Cove)で働く叔父の元へ引っ越した際、そこはクアタイアスキー缶詰会社が経営する多民族コミュニティであり、そこでは、地元の先住民コミュニティと熟練されたスキルを持つ中国系カナダ人に加え、5つの日系カナダ人の家族が共に漁業に携わっていた」(4)と述べられています。

松永家が当時使っていた船「そよかぜ」に焦点を当てた物語→The Soyokaze Story

 

インタビュー動画にて平尾晴美さんは、祖父の濱 與ノ助さんが三尾に戻った際、現地で購入した先住民が作った洋服(ソックスやカウチン )を持って帰ってきていたとお話しされていました。この事から、仕事は分業ではあったが、働く場所自体は同じだったため、文化的な交流が行われていたのではないかと考えられます。このように移民初期に漁業に携わっていた日系人漁師は、キャナリーで地元の先住民や他の人種や民族と繋がりがありました。

参考文献

(1) 足立照也 (2016).「北西太平洋岸先住民社会における先住民ツーリズムに関する研究ノート」,『阪南論集社会科学編』,51(3), P.105-P.122

(2) 山田公二(2020). 「世界の子ども事情 カナダ・先住民文化剥奪の標的となった子どもたち」,『はらっぱ』, NO394, P.42-P43

(3) 河原典史(2017).「戦前のカナダに渡り漁業に従事した日本人」, 『RADIANT 立命館大学研究活動報』, http://www.ritsumei.ac.jp/research/radiant/gastronomy/story7.html/,(最終閲覧日2020年10月30日)

(4) Beth Boyce(2020). “THE SOYOKAZE: A Gentle Wind That Weathered the Storm”, BC STUDIES, NO204,  p183

(5) カナダ移住百年誌編集委員会(1989).『カナダ移住百年誌』, 美浜町カナダ移住100周年記念事業実行委員会, P117-P135

(6) 山田千香子(2000). 『カナダ日系社会の文化変容 「海を渡った日本の村」三世代の変遷』, 御茶の水書房, P109-P121

(7)「カナダインディアンの文化」.『CANADIAN SPRIT GALERRY』, https://firstnations.jp/page/culture/.(最終閲覧日2020年10月30日)

(8)(2015).「ファースト・ネーションズ (先住民族インディアン)」,『Government of Canada』, https://www.canadainternational.gc.ca/japan-japon/about-a_propos/faq-first_nations-indien.aspx?lang=jpn ,(最終閲覧日2020年10月30日)

(9) 小山茂春(1984).「第4章 三尾移民の歩んだ道」,『わがルーツ・アメリカ村 老人たちはいま』, ミネルヴァ書房, P126-P148

(10) 田中裕介(2009).「先住民と日系カナダ人」, 『立命館産業社会論集』, 第45巻第2号, P.92-P.93