生年月日:1958年3月1日
出身地:和歌山県日高郡美浜町三尾
動画撮影日:2019年11月9日
動画撮影場所:カナダミュージアム
内容
1941年12月7日、真珠湾攻撃で勃発した太平洋戦争により、市民権の有無や年齢にかかわらず、日本人の血を持つすべての日系人は「敵性外国人」とみなされ、財産を没収され、強制収容の対象となりました。インタビューでは、強制収容を経験した安藤妃史さんの祖父にあたる吉田長之輔(Chonosuke Yoshida)さんと吉田長之輔さんの甥にあたる吉田守(Mamoru Yoshida)さんに関するエピソードをお話してくださいました。
敵性外国人とみなされた日系カナダ人への不当な扱い
1942年2月、カナダ政府は“日本人種の血を持つすべての者”は沿岸100マイル(約161㎞)の保護地区を離れるように命じ、3月から11月までの間、21,000人以上の人々が移動しました。密接なつながりのあった日系人コミュニティーは、BC州からオンタリオ州までばらばらにされました。船、車、ラジオ、カメラなど危険とみなされる所有物も押収され、日本語新聞、商業施設、学校も閉鎖、日系市民は職を失いました。(1)
強制移動・収容の過程で、家族をばらばらにされてしまうことに対し、一部の日系人は反対することを決意し、1942年3月23日、13名の二世と1名のカナダの国籍を得た日系移民である帰化一世がバンクーバーの日本人街で集会を開き、3月31日に、家族での集団疎開を要求して「Nisei Mass Evacuation Group」を結成しました。このグループは4月15日、ブリティッシュ・コロンビア州(以下BC州)保安委員会に対して政府にカナダ市民として集団での家族移動を求め、家族をばらばらにする男性のみの出頭は受け入れることができないという内容の文書を提出しました。しかし、BC州保安委員会は要望を拒否し、連邦政府の命令による移動を拒む者はオンタリオ州にある捕虜収容所に収監すると発表しました。そのため4月から7月までの間に、計約470名がオンタリオ州のペタワワ(Petawawa)とアングラ―(Angler)捕虜収容所に移送されました。(2)
アングラ―捕虜収容所抑留者名簿に安藤妃史さんの祖父、吉田長之輔さんのお名前があります(3)(4)。ちなみに戸籍上の名前は長之輔でしたが、三尾では出生時、健康に育つように付ける名前があり、通名は「イノスケ」で通っていたといいます。そのためこの抑留者名簿のお名前も吉田伊之輔(Inosuke Yoshida)となっています。
アングラ―捕虜収容所内の生活
下記はアングラ―捕虜収容所について”ANGLER & PRISONERS OF WAR (Chapter 5 of 7)“の中の一部を筆者が抜粋して翻訳したものです。(5)収容所での生活が大変厳しいものだったことが分かります。
軍服:アングラ―捕虜収容所は18歳から45歳の男性を収容しました。「トラブルメーカー」のラベルを付け、ズボンの両足には赤い縞模様、軍服の後ろには収容者が逃げようとした際に警備員が標的とする12インチの赤い丸がありました。
労働:収容者は、気温がマイナス60度を下回る状況でも、交代で作業を行わなければならず、キャンプの外で働くことを断るものは、毎日木を切るように命じられました。中でも嫌われていた仕事は、列車から石炭を降ろす作業でした。
食料:ほとんどの食事がジャガイモと2枚のスライスパンで、大雪で列車が動かず、1日の配給を2、3日に延ばすこともありました。
医療:凍傷に苦しむものが多く、盲腸炎、胃腸障害、インフルエンザもとても多くありました。また、湯たんぽのような基本的な設備が不足していました。
アメニティー:収容者には生活必需品、石鹸、剃刀、歯ブラシ、タオルが提供されていました。使い古されたものは新しいものに交換していました。
ニュースの検閲:収容者に発行される新聞は、戦争に関する記事は全て切り取られており、ラジオも禁止されていました。
アングラ―捕虜収容所に関するディスカバー・ニッケイの英文記事: Life in the Canadian Internment and POW Camps
野田為雄(Noda Tameo)さん
吉田守さんの母方の従兄弟であり、カナダミュージアム(和歌山県日高郡美浜町三尾)の館長である三尾 たかえ(MIO, Takae)さん のご主人の親族でもある野田為雄さんは、「バンクーバー朝日」の中心選手でした。1915年7月20日三尾に生まれ、小学校を卒業し、県立田辺中学校第二学年の年、家族と共にカナダへ移住し、バンクーバー朝日の選手として活躍しました。1936年に帰国し、同年12月陸軍に入隊、翌年7月、支那事変(日中戦争に対する当時の日本側の呼称)が起こると大日本帝国陸軍の連隊のひとつである鯉登部隊(歩兵第77連隊)に編入し佐内歩兵砲中隊の射手として大陸の戦場を渡り歩きました。1938年4月16日午前7時40分、安沢県(中華人民共和国山西省臨汾市に位置する)の戦闘にて敵の機関銃の弾を腹に受けて亡くなりました。(6)現在、野田為雄さんのお墓は三尾の法善寺にあります。(7)
バンクーバー朝日(1914-1941)
バンクーバーの中心街の東、パウエル・ストリートを中心とする旧日本人街の日系カナダ移民二世を中心に結成され、バントや盗塁を多用した頭脳プレーで独自の野球スタイルを確立しました。相手のすさまじい乱暴なプレー(ラフプレー)にも、正々堂々とした試合態度(フェアプレー)を貫き、さまざまな差別や排斥に苦しんでいた日系人社会の希望の星となりました。しかし、太平洋戦争中、日系人の強制収容に伴いチームは解散を決定しました。戦後58年目となる2003年、カナダ政府が朝日軍のカナダ野球殿堂入りを決定、2年後の2005年にはBC州スポーツ殿堂入りも果たしました。(1)(8)
2014年、バンクーバー朝日を題材として石井裕也さんが監督、亀梨和也さんなどが出演した映画『バンクーバーの朝日』が制作・公開されました。同年、現地で新バンクーバー朝日が再結成されました。
地図出典:Googleマップより
※パウエル球場(正式名称:オッペンハイマー公園(Oppenheimer Park))を本拠地としていました。(9)
リドレス合意
1988年9月22日、第二次世界大戦中及び大戦後の日系カナダ人の取り扱いが不当であったことが認められ,マルルーニ首相(当時)が議会で強制収容を体験した日系人に対して公式に謝罪するとともに、カナダ政府が補償(個人補償として21,000ドル,日系カナダ人コミュニティーに1,200万ドル,カナダ人種関係基金に1,200万ドル)を行うとの決定を発表しました。(10)(11)(12)
21,000ドル=1,689,240円(2020/8/29現在)
家系図
移民された方:安藤妃史さんの祖父吉田長之輔さん、吉田長之輔さんの兄吉田福太郎さん、吉田福太郎さんの妻ヒサエさん、吉田長之輔さんの甥吉田守さん、吉田長之輔さんの甥の母方の従兄弟野田為雄さん、野田為雄さんの父為次郎さん、野田為雄さんの母キクノさん
屋号はチョウトク
※三尾の家には様々な屋号があります。 昔は名字よりも屋号で呼ばれていました。
参考文献
(1)(2012).“Taiken : Japanese Canadians Since 1877” , the Nikkei National Museum Center
(2)和泉真澄(2020).『日系カナダ人の移動と運動 知られざる日本人の越境生活史』,小鳥遊書房,p103
(3)Robert K.Okazaki(1996).”The Nisei Mass Evacuation Group and P.O.W. Camp 101:the Japanese-Canadian Community’s struggle for justice and human rights during World War Ⅱ, Markham Litho
(4)末永國紀(2020).『日系カナダ移民の社会史—太平洋を渡った近江商人の末裔たち—』,ミネルヴァ書房,p259
(5)E.Jlavoie(2017).“ANGLER & PRISONERS OF WAR (Chapter 5 of 7)”
https://ejlavoie.wordpress.com/2017/09/14/angler-prisoners-of-war-chapter-5-of-7/ (参照:2020-10-14)
(6)岡本淨(2020).『わたくしの故郷なつかしき三尾』,p46,p142-143
(7)「野球がつなぐ日加の交流」,『日高新報』,2020年1月24日
(8)「「朝日軍」の野田さんの親類にカナダの殿堂メダル届く」, 『日高新報』,2016年4月28日https://www.hidakashimpo.co.jp/news1/2016/04/post-5522.html(参照:2020-10-12)
(9)「Asahiカナダ野球の伝説」,“Asahi-Virtual Museum of Canada”
http://www.virtualmuseum.ca/sgc-cms/expositions-exhibitions/asahi/index2.php?loc=ja-JP(参照:2020-10-12)
(10)「ブライアン・マルルーニ元カナダ首相に対する旭日大綬章叙勲伝達式」,『在カナダ大使館』https://www.ca.emb-japan.go.jp/JapaneseSite/Taishikan/Mulroney.html(参照:2020-8-29)
(11)「リドレス合意25周年記念行事」,『在カナダ大使館』
https://www.ca.emb-japan.go.jp/JapaneseSite/Kohobunka/2013events/redress_25th.html
(参照:2020-8-29)
(12)庭山雄吉(2004).「日系カナダ人によるリドレス運動:全カナダ日系人協会[NAJC]とカナダ政府との交渉過程分析」,The Journal of American and Canadian Studies 21:65-82