「良いか悪いかではなく面白いを選択」

自己紹介

三尾出身です。大阪に住んでいましたが59歳の時に母の介護をきっかけに三尾に戻ってきました。その時にNPO法人日の岬アメリカ村が立ち上がったのでそこの事務局の事務員として仕事もあったので母の介護と両立するために戻ってきました。それで、趣味だったのですが海が大好きで潜るのも大好きで、海の漂着物を拾って集めるのが小さい時から好きでした。それと生まれた時から海が当たり前でしたので実際に沖縄に遊びに行ったときに「海はなんてきれいなんだ」と素敵だと感動したのでそこでシーグラス拾ったりしていたのですが、沖縄じゃないと思っていたけど、ある日ふと、自分の地元も海あるやん、ということで海の楽しさや美しさを思い出した。海に対する気持ちもUターンだし、自分もUターンです。仕事でもUターンです。そこでシーグラスを使ったアクセサリーを作れないかとシーグラスペンダントというものを作りました。それが海猫屋を起業することになったきっかけです。

三尾の海の様子を教えてください

三尾の海には表情がいくつかあって、ビーチは1つしかなく、他は漁港になっているのでセメントでは李めぐされているので、いわばになる。ビーチには月に一回ボランティアさんがビーチクリーニングしているので比較的にきれいです。磯のほうは全く手付かずなので前回も学生たちと海の氷上を見てもらったんですけどごみの漂着物がプラスチックごみも落ちていましたし漁網も落ちていましたし、ロープも落ちて漂着されていました。三尾の海自体はきれいですが氷上によって漂着物があったりする。

海猫屋の紹介、ビーチコーミング&アクセサリー制作ワークショップに込められた思い

地元の浜でビーチコーミングをしながら海からの漂着物を収集しています。ペットボトルやプラスティックごみ、缶瓶などを集めては所定の場所に捨てるビーチクリーン活動もするなか、シーグラスや海藻、プラスチック品はシーグラスボールペンとして再生するワークショップや販売をしています。こういった活動の目的は、まず自分が楽しい。海が好きなので。2つ目は多くの方に販売する多くの方に海の環境に関心を持っていただく。もう一つは今目に見える海のゴミを減らす。そして一番大きいプラスチック供さんたちがこの活動を通してごみから再生したものや長く愛着を持って使えるもののほうに価値を感じて選ぶ買い物する。しかも捨てると国はその分自分に責任を持つ。というような大人になってほしいという気持ちがある。そしてこのような価値をもって子供たちが社会を動かしてくれれば自ずとごみが減るし地球の環境が良くなるのではないかなと考えています。

体験者は地元の人か観光客どちらが多いか。

ワークショップの参加者は今のところ半々くらいです。私は地元には、シーグラス体験をSDGsの14番のゴールに向かっていると美浜町の役場に寄贈しておいてもらうことで内外に個々の長はさすがだな、関心を持っているんだなと思ってほしい、と思っていますし、仕事としてはワークショップとして企業している立場としては、私が求めているのは高速や飛行機を、和歌山の最大の観光地である白浜には皆さん向かっていただけるけど、私たち紀中は高速の下にあるため飛び越えて白浜に行ってします。できれば帰りには、高速ではなく地道を通ってちょっと立ち寄ってもらってビーチコーミングをしてもらいそれをお土産にしてもらいたい。少し降りてもらいたいという思いがある。もう1つは空港なので東京から日帰りで白浜に来る。世界からとは言わないが、関東や日本中から集まるのが白浜なので関西圏のみならず関東にもこういうSDGsに関心をもってこうやって企業してボールペンを作っている者がいるっていうことを知ってもらいたい。

教育観光を始めたきっかけは何か

もし学生や子供(小学生など)に今の海の環境を知ってもらいたい。そしていまではなく自分たちが大人になったときに物の価値観が変わっている、ような今の私たちが「もういいや、これほかそー」なんでも捨ててしまうようなそういう価値観ではない大人になってもらいたい。なので一人でも多くの学生さんたちにこの体験を見て感じていただきたい。

学生と関わるうえで感じたことは

もうそれはエネルギーです!すごく自分が普段関われない感性の人たちに声をかけてもらったり声をかける声を掛けたら返事してもらえる。世界が違うから交流できない人と交流できることがとてもうれしいです。

若者向けてのメッセージ

若者向けてやりなさい。ということではなくて、今の収集物っていうのが、私たち大人がほかしたものなんです。今の若い子たちがほかしたものではないので負の遺産だと思っていますので、ごめんなさいという気持ちがあります。よくないんだよ。ひらおう、ということはあまり言いたくなくて、でもごみでこんなんにきれいなものが出来たよって自分で作ったものだから大事にするじゃないですか、そういったものを少し高くてもそういったものを選ぶ、そしたら使い捨てのものに見向きもしなくなったら社会もそういうものを作る。そうやって知らない間にニーズが変わっていく。ひらえひらえではなくそれは自分たちがやったことじゃないですか、それを申し訳ないことであって、少しずつニーズが変っていけば環境も変わっていく。すごい長いスパンですけどそうなってほしいと思います。若者に期待することは社会を変えてください。社会の価値観を変えてください。そしてごめんなさい。です(笑)

 

村尾敏夫さんについて

村尾敏夫さんは100歳で亡くなられた。三尾は移民の村で、私のおじいちゃんもカナダに移民していた。調べたらアングラー収容所に収容されていた。村尾敏夫さんも三尾出身でアングラー収容所に収容されていて同じ本に名前があった。同じ時に私のおじいちゃんと村尾敏夫さんは収容されていたんだと懐かしい気持ちとまだお元気だと聞いていたので去年ご親戚の方が三尾にいらっしゃるので村尾敏夫さんにインタビューさせてほしいといたがその直前にお亡くなりになられて、おじいちゃんの話を聞きたかったのに聞けず、でした。それでカナダ移民のレジェンドだったので私の親戚もカナダに永住していたり、他の親戚もカナダから帰ってこられて自分自身もカナダ移民と関係があるのでそこも村尾敏夫展をやりたいと思ったきっかけにもなります。

安藤さんが感じる三尾の魅力は何か

三尾の魅力は一言では語れないんですけど好きなところも大きらいなところもあります(笑)海猫島です。弁天島ともいわれていますがあの島が好きです、なので多分海が好きなんですね。

人生で最も大切にしている言葉

「おもしろいか、面白くないか」かな。いいか悪いかで決めるのではない。いいからする、悪いからしないではなく面白いからする。価値判断が面白いか面白くないか。海猫屋を起業されたのも面白いから。娘さんも海が好きで見るのも泳ぐのがすき。